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コロナに揺らぐ日常再考 (1) 集う 変わるか「座の文化」

/掲載日:2020年07月10日/紙面:山陽新聞朝刊/掲載:15ページ/

 

「今日はどんな感じですか?」

 緊急事態宣言が発令中の4月、自宅でパソコンに向かいリモートワーク中だった私は、職場の様子が気になり、出勤していた同僚に社用のチャットツールで思わず尋ねた。

 電車で片道40分、通勤せずに済むのはありがたかった。頻繁に鳴る電話も同僚との無駄話もなく、仕事ははかどる。パソコンに興味津々の2歳8カ月の息子には手を焼いたが、在宅勤務の利点は十分実感した。だが、職場にいないことが、どうにも落ち着かない。

 新型コロナウイルス感染拡大の防止策として推奨されたリモートワーク。そもそも職場の外で取材に当たる報道機関の記者には、働きやすい仕組みのはずだ。メールやチャット、必要なら電話で同僚と連絡を取り合い、取材し執筆する。それで事足りるはずが、この不安はどこからきたのか。

 社会学者の水無田気流さんは、日本特有の「座の文化」の不在を理由に挙げる。「日本の文化では空間を共有すること、座を占めること、空気を読むことが重視されてきました。座を共有することが言葉で伝える以上に、意思伝達手段として重視されてきたんです」

 夜まで残業した際の職場での雑談や、終業後に同僚と出かけた飲食の席で仕事の方針が決まった、といった経験を持つ人もいるだろう。そうした「座の文化」が失われた状況が、私は不安だったのかもしれない。

 「言葉より、その場で醸し出される雰囲気が重視され、文脈抜きで誰もが分かるような言語的コミュニケーションへの信頼が低い。そんなコミュニケーションの在り方が変わるかもしれません」

 テレビ会議の普及にも意外な副産物が。「従来の会議はその場でうなずいているだけで“参加した感”があった。でもテレビ会議では、物理的に座を共有できない分、言葉を尽くして意見を表明するなど、より積極的な参加姿勢が求められるようになりました」と水無田さんは苦笑する。

 事態がいったん収束しつつある中、再び「座の文化」が社会を覆うのだろうか。「コロナ危機は、無駄な会議で他人の時間を粗末に扱ってきた実態を問い直す契機になると思います。同時に、人と会うことの意味を考える良い機会になるのではないでしょうか」

 (森原龍介共同通信記者)

     ◇

 新型コロナ危機は私たちの生活を一変させた。家を出て、学校や職場に向かい、皆で学び働く。友人と顔を合わせて語らう…。当たり前だと思っていた日常の揺らぎを見つめ、考える。

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