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「新成人へのメッセージ」 文筆家・能町みね子 その瞬間の思い 記録を 変化する自分 楽しみに

/掲載日:2021年01月15日/紙面:山陽新聞朝刊/掲載:13ページ/    


 自分がこれからどんな人生を歩み、どんな人や出来事に巡りあうのか、期待や不安が交錯する20歳の門出。社会で出合ういろんな価値観や常識を自分なりの感性で見つめ、言葉にしてきた文筆家の能町みね子さんに、新成人へのメッセージを寄せてもらった。

「いい小道を探しながら歩くのが楽しいです」と話す能町みね子さん


 20歳って、なかなかの節目である。私も当時そう思っていた。ちょうど20歳になる直前、誕生日の前日に、よくここまで生きたものだと妙な感慨に浸っていた。

 そして私はふと、「今、20歳の私がどう暮らしているか、どう思って生きているか」を文章で残しておこう、と思ったのである。日記ではなく、今この20歳の瞬間の、私の頭の中のいろいろなものを掻かき出そう、と。

 誕生日の午前0時を回って、私は1人暮らしの自分の部屋で、さて…とピアノでも弾き始めるようにノートパソコンに向かった。学校の課題でもなければ誰に見せるわけでもないから、思うままに、友人や親について、楽しいこと、嫌いなこと、将来についてのこと等々、特に前向きでもなく淡々と、おそらくそのときにとらわれていた諦念や厭世えんせい観なんかもにじませながら、脈絡もなく書きつづけた。

 思いつくことを全て絞り出すようにして数時間。もう書くこともなくなり、これといって結論もないまま投げ出したような文章をパソコンにセーブした。私はこれを永遠に残し、時折思い出して読み返そう。きっと数年、十数年とたったらいちいち忘れてしまい、新鮮に読み返すことができるだろう。私はほくほくした気持ちでいた。

 1カ月後、図書館にこもって、そのパソコンで大学のリポートを書いていた。トイレに行っている間に、なんと、何者かにパソコンを盗まれた。

 盗難届も出したけど、パソコンは返ってこなかった。

 何の話だ、と思われそうだが、ともかくこれは実話である。

 私は20歳の自分に全く自信がなかった(今でもあまりないけれど)。当時は周りの目をうかがってばかり、他人の様子を見ながら付和雷同、それでいて気弱で臆病だと思われるのも嫌だから、しれっと何やら立派な考えを持っているかのように振る舞っていたと思う。

 そんな20歳ちょうどの自分が、夜中に思いつくままにぶちまけた頭の中が二度と見られないことを私はいまだに後悔しているのである。私はどう変わったのか、知りたくて仕方がない。

 20歳なんて、ふつうは自信がなくて未熟か、逆に尊大で変な思い込みがあるか、どっちかである。きっとそれを自覚もしている。そこから将来に向けてどうすべき、というアドバイスは私からは全くない。ただ、自分が今こう思っているという記録は何かにつけて残しておいた方が絶対にいい。ただの日記ではなく、こういうことがあってこう思った、その瞬間の思いを。それは後からでは絶対に再生できない。人は必ず変化してしまうのである。自分がどこから来てどうなったか、常に変化する自分を知っておくと楽しい。

 今はセキュリティーのしっかりしたサイトがたくさんあるでしょうから、パソコンを盗まれてもいいように、ネットにこっそり上げておくのがいい(当時はそんなのなかったのだ)。手書きのノートでもいいね。


 のうまち・みねこ 1979年北海道生まれ、茨城県育ち。文筆家。世の中にある違和感などを独特の視点で捉えたエッセーなどが人気。好角家で、NHK「ニュース シブ5時」で見どころの解説も。著書に「そのへんをどのように受け止めてらっしゃるか」「結婚の奴」など。

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