/掲載日:2020年03月06日/紙面:山陽新聞朝刊/掲載:15ページ/
芸能界、文化界、経済界…。各界で活躍している岡山ゆかりの人たちは、どんな子ども時代を過ごしてきたのだろう。親に昔の記憶を呼び戻してもらい、そこからヒントを探る「子育てのメモリー」。初回は、大人気の岡山県出身お笑いコンビ・千鳥のノブさんの父・早川勝治さん(73)と母・千代子さん(73)に登場してもらった。
私たちは1972年に25歳で結婚し、その翌年に長男が生まれました。そこから3歳ずつ離れて次男、三男ができたんです。末っ子がノブです。
私たちの住む井原市芳井町の坂本地区は40軒程度あるんですが、私の世代の夫婦は大体、子どもが3人います。というのも、長男が生まれたころ、地区の男衆が毎月1日に集まって地域のことについて話をする「一日会」をつくったんです。その時に、「子どもがたくさんおったら地域に元気が出るが」と盛り上がり、各家で3人は子どもをつくろうという話になってね。
私は6人きょうだいで、親から「子どもをつくりすぎて貧乏をすることはない」と言われて育ったから、もともと子どもはたくさんほしかった。だから、地域がその後押しをしてくれた気がします。
兄弟が3人いると、親が何も言わなくても、助け合いながら、いろんなことを学んでくれたようです。
小学4年から3人とも少年野球を始めました。上の2人は高校まで、ノブは中学まで野球、高校はサッカー部でした。中学校の野球部で、次男が1、2年生の時は、先輩から後輩に厳しめの“指導”があったみたいです。でも自分が上級生になった時「わしが同じことを下級生にしたら、来年、中学に入るノブがやられるから」と、我慢したようです。
「みたい」とか「らしい」というのは、当時親に一切言わなかったから。大人になって思い出話をする時に、少しずつ聞いてね。兄弟で互いのことを思いやりながら成長してきたんだなと実感しました。
きょうだいがいると、最初の子は写真が多くて、だんだん少なくなるとか言うでしょう。うちは違った。3人とも同じようにして、ノブの服や靴も極力、お下がりは使いませんでした。
兄弟仲良く。理由は、これくらいしか思いつかないけれど、プラスに働いてくれたなら、うれしいですね。
お笑いコンビ千鳥 ノブ
ノブさんの実家でインタビューに答えてくれた父の早川勝治さん(左)と母の千代子さん