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子育てのメモリー ロンドン五輪女子マラソン代表 重友梨佐さん母 (3) 重友民恵さん(61)=備前市= 1日も欠かさず手紙投かん

/掲載日:2020年07月17日/紙面:山陽新聞朝刊/掲載:13ページ/



重友梨佐さん

 陸上は過酷なスポーツです。練習が厳しいのはもちろん、体重管理も徹底していました。当時、興譲館高では、寮の食事以外で口にしていいのは牛乳とヨーグルトだけ。パンが大好きな梨佐は、部活で学校の周囲を走るときに、パン屋の前で匂いを嗅ぐのが唯一の楽しみだったと言うんですよ。

 寮から帰宅するたび、低カロリー高タンパクで野菜たっぷり…と献立を考えます。梨佐が我慢しているのに親の私が好きなだけ食べていてはいけないと思い、一緒に食事制限したことも。あっという間に13キロもやせて、同じ高校のお母さんに「誰か分からんかった」と言われました。

 けがもつきものです。高校卒業後2006年、(シドニー五輪の山口衛里さん、アテネ五輪の坂本直子さんらを輩出した陸上女子長距離の名門)天満屋に入社しましたが、1年ほどしたころ、座骨を疲労骨折。練習ができず体重も増え、さらに故障が重なってどん底を味わいました。

 わが子が苦しむ姿を見るのは何よりつらい。選手の代わりはいても、私の娘は一人です。「いつでも辞めていいんよ」と言っても、「まだマラソン走ってない。絶対に辞められん」の一点張り。私がしてやれることといったら、通院の送迎くらいです。仕事の後、梨佐の練習が終わるころに迎えに行き、懇意にしていた治療院で体をケアし、寮まで送ることを毎日繰り返しました。

 そして12年1月、24歳で迎えた大阪国際女子マラソン。私は梨佐が小学生のころからどんな小さな大会にも同行しており、その日も沿道に立ちました。実力も実績もはるかに上の福士加代子さんらと争い先頭を走る姿に、ただただ驚くばかりです。マラソン挑戦2度目で初優勝。ロンドン五輪出場が確実になり、「とうとう夢をかなえたんだなあ」と胸が熱くなりました。

 本人の努力もさることながら、天満屋の武冨豊監督をはじめ周囲の皆さんのご苦労を思うと、ありがたくてなりません。ただ、現実は甘くありませんでした。足を痛め、五輪を前に満足な練習ができなかったのです。

 私たち親子はよく手紙をやりとりするのですが、事前合宿のアメリカから、エアメールが何通も届きました。もちろん私を心配させるようなことは書いてありません。私も「今日はこんなことがあったんよ」なんてたわいないことをつづり、1日も欠かさず投かんしました。天満屋の寮に宛てて送るので、帰国するまで梨佐が読むことはありません。分かっていても、書かずにはいられませんでした。



 (聞き手・則武由)

 

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