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コロナに揺らぐ日常再考 (2) 案じる 問題は個人主義の質

掲載日:2020年07月24日/紙面:山陽新聞朝刊/掲載:15ページ/  

 知人がぼやいていた。80代の父親が言い募るという。高齢者ほど新型コロナウイルスのリスクが高いのは当たり前で、そんなのは寿命にすぎない。こんなふうに大騒ぎして、自粛、自粛となるのはばかげている、と。

 子が高齢の親の身を案じるのは当然だ。ただ同時に、父親の心情も理解できる気がした。命のリスクをどう引き受けるのか、それは自分の人生観の問題だ―。さまざまな困難を乗り越え80年以上生きてきた者の、そんな矜持きょうじを感じたのは、深読みだろうか。

 一方、これに反論する心の声もある。自由に出歩いた結果、自分が感染したり、感染源になったりすれば、結果的に医療現場が行き詰まる。それはやはり無責任な言い分ではないか、と。

 そんな記者のモヤモヤに耳を傾けてくれたのが、文芸批評家の浜崎洋介さん。「『リスクゼロ』はあり得ないことを、まずはっきりさせましょう。本当にそう望むなら、8割自粛どころか、コロナとも無関係に常時10割自粛すべきだというむちゃな話になってしまう」

 コロナ禍を通して浮上したのは、私たちが自らの「暴力」をどこまで自覚してきたのかという根本的な問いだと指摘する。「他者と関わること自体が本来リスクなんです。例えば、この対話だって時間を奪い、奪われるという『暴力』をはらむ。子育て、恋愛、人と人が関われば必ず『暴力』が生じます。それでもリスクを引き受け、他者と共にあろうとする。私たちはそういう不合理な存在ですよね」

 結局、リスクの選択はそれぞれの生きがいや覚悟において判断するしかない。それが「自粛」の本来の意味でもあるし、結論はそれ以上にも以下にもなり得ない。ただ、その際には「本物の個人主義」が必要だと、浜崎さんは強調する。

 「個人主義とは自閉することではなく、自分の外部と内部のバランスを考え続けること。本物の個人主義を知る人は、自分だけを正義だと思い込んで“自粛警察”化することはない。議論しようとするはずです」

 この間、自粛推進派と自粛懐疑派の腹を割った議論はどれだけあっただろうか…。ウイルス禍や経済危機、大災害を乗り越えていく私たちの未来を思ったとき、それこそが問題かもしれない。(瀬木広哉共同通信記者)

 

 

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