/掲載日:2020年08月20日/紙面:山陽新聞朝刊/掲載:13ページ/
6月下旬、東京・新橋の飲み屋街では、店外に並べたテーブル席に客の姿が戻りつつあった。だが店内は空席が目立つ。店員が言う。ふとした瞬間に、空から降るように響いていた夜の街の「ざわつき」が消えた…と。
新型コロナウイルスの感染を防ぐ「新しい生活様式」は私たちを縛る。
職場で同僚に話し掛けられると急いでマスクの位置を正し、互いに距離を空けて話を続ける。言葉のやりとりを意味していたはずのおしゃべりは「飛沫ひまつ」を飛ばし合う「濃厚接触」でもあった。同僚を飲みにも誘いにくい。抑圧されているのは単に飲み歩くことではなく、声を発する行為そのものだ。
人間行動学が専門の早稲田大教授細馬宏通さんに、テレビ会議システムで話を聞いた。リモートで授業をし、知人らとオンラインでやりとりする中で気付いたことがあるという。「自分の顔が画面に映って、その表情を確認しながらしゃべるうちに、表情のバリエーションがちょっとずつ減ってしまったんです。ジェスチャーも減りました」
小さな窓のような画面越しでは、身ぶり手ぶりは映りにくく、嗅覚、触覚なども伝わらない。相づちの音も拾いにくい。コミュニケーションができないよりましだが、オンラインが「いびつ」なことに変わりはない。
そもそも“リアル”な会話の特徴は「お互いのパーソナルスペースに割って入ること」なのだと言う。身ぶり手ぶりを交えて話しつつ、目の前の空間を共有する。「僕らは向かい合わせで話しながら、相手の息づかいを感じていたわけです」
この間、テレビ会議などで「頑張れば」コミュニケーションできるという実感は確かに広がった。「ただその結果、日常のやりとりが持っていた圧倒的な豊かさは失われる。頑張らなくてもできることがいっぱいあったということを忘れてはいけない」と細馬さん。
感染防止には人との接触を減らすしかない。「でも本当にしゃべりたい人なら、時々は会ってもいいんじゃないか。僕らは“生”で会い、話をしてその空間を共有することで強く動かされる生き物です。回数が減り、マスク越し、あるいは屋外で、とやり方が変わっても、生身のやりとりを確保することは、どんな時代でも必要でしょう」 (森原龍介共同通信記者)